9年の間の話
2011年に病気が発覚したものの、幸いなことに手術後の治療はなく(良性ではない、要経過観察だけど😅)大学生活は楽しく過ごしました✨
ただ、1人暮らしの貧乏学生にとっては経過観察の医療費さえも痛かったです😅
なのでときどき経過観察をサボってしまっていました😖
大学卒業後は、実家に戻り大手企業に就職したけど、超超超激務。
入社半年後くらいから、ほぼ毎日深夜帰宅を繰り返していました。
自分が1年目で仕事が出来ないのもあり、毎日叱られ車で泣きながら家に帰宅。
1〜2年目は、ほとんど仕事を楽しむ余裕はなく、でも辞める覚悟と勇気もなくただただ耐え忍んで仕事をしてたっていう感じです(¯―¯٥)
3年目くらいから少しだけ楽しめる瞬間も出てきたけど、辛いことのほうが多かったな😑
どんなに辛くても3年は辞めずに頑張ろう!っていう無駄?な決意が自分の中にあり
だらだらと頑張ってしまった😅
今思うとさっさと転職すれば良かったのに、行動出来なかった💦
今の私なら時間のムダだから速攻辞めてる!
でも、あの辛い状況も自分の糧になってるはず🌟(と思いたい。)
夫と出会い、結婚してからもなんだかんだで仕事は続けていました。
そんなあるとき、夫と休みを合わせて2泊3日韓国旅行へ🇰🇷
明洞にある割と有名な占いに行きました🔮
(占い大好きな私です😍)
そこで、とにかく子どもを早く産んだほうが良いと言われました。
何でかは言われなかったけど😅
そんな事もあり、早く子ども欲しいなという思いもどんどん高まっていきました。
韓国旅行から半年後くらいに妊娠発覚👶
さすがに子どもを育てながらこの仕事は続けられない!と思いようやく退社を決意しました。
妊娠出来たかも??というときに早く知りたくて、我慢できなくて、休憩中に職場のトイレで妊娠検査薬で調べたのを覚えています🤭
あのときの気持ちは絶対に忘れない🥰
今まで感じたことのないあたたかい気持ちになりました。
元々、病気の関係でもしかしたら赤ちゃんは出来ないかもしれないと思っていたからすごくすごく嬉しかった😢
妊娠中はつわりと体重が増えすぎた以外はそんなに問題もなく過ごせました😌
仕事も出産の1ヶ月前くらいまで働き、退社。
そして、正産期に入ってから夫と一緒にいとこの家に遊びに行ってる間に破水😨
夫が一緒にいてくれて本当に良かった😭
急いで病院へ直行🚙
病院に着いた瞬間、いきなり激痛の陣痛到来。
痛みの間隔もほぼないのに、なぜか子宮口は開かず4時間くらい耐えたけど赤ちゃんの心拍が下がってると言われ緊急帝王切開しました💦
陣痛も産後もかなりの激痛だったけど、娘は無事に元気に誕生してくれたので本当に良かった♥
幸せなはずなのに産後のホルモンバランスの乱れからか、メンタルボロボロでよく泣いてました😭
出産も育児も自分の想像以上に大変だった😊
でも、実家の助けも借りながら育児に励んでいました😌
つづく。
手術の結果
だいたい1週間くらいで手術の結果が出ました。
術後の経過が良く、結果が出るころには退院していたので
父と母と3人で結果を聞きに行きました。
私以上に父と母が緊張していたのを今でも覚えています😅
結果は・・
結果は卵巣腫瘍
胚細胞腫瘍 未熟奇形腫 境界悪性 (grade2)
私はそう言われても、なんのことかさっぱり??😣でしたが
とりあえず「思ったより悪くなかったよ」という
主治医の言葉に両親が安心していました。
私は、
境界悪性って何?良性でもないけど悪性でもない中途半端??
なんだかすっきりしない結果だなと思っていました😥
🖍ここで私が知っている範囲でのこの病気の補足です。
(完全なる素人で医療の知識も全くないので、間違っている可能性もあります。
自分なりに解釈したものを自分の記録メモとして残させていただきます😃)
卵巣胚細胞腫瘍は、若年の女性に好発するそうで、
卵巣腫瘍の中でも罹患率がかなり低い非常に珍しい病気です。
また、卵巣腫瘍には悪性の腫瘍のほかに、境界悪性という悪性度の低いものが存在し、私が罹患した未熟奇形腫の場合は、悪性度をgradeで示します。
良いものから順番に、
①良性
②境界悪性 grade1
③境界悪性 grade2
③悪性 grade3
となるようです🤔
卵巣胚細胞腫瘍は、罹患率が低いうえに悪性度も高く、治療法も確率されていない。
ひと昔前まではかなり生存率の低い病気のひとつだったようです。
ただし、近年になって
BEP療法(B:ブレオマイシン E:エトポシド P:シスプラチン)
という抗がん剤治療が確立してからは、劇的に治療効果が上がり、
かなりの確率で治癒するようになりました💉
話を戻しますね😊
主治医のおすすめとしては,
良性ではないけど、80%くらいの確率で悪性(grade3)だと思っていたから、思っていたよりは良い。
抗がん剤治療(BEP)は境界悪性でする人もいるけど、まだ19歳だし、大学生だしとりあえずしなくて良い。
左卵巣は残っているから妊娠・出産も出来るはず。
ただし、再発のリスクはあるから半年に1回の検診(CT検査)は必ず受けて下さいとの事。
母は自分自身も乳がん患者で、種類は違うけど抗がん剤治療を30代で経験しています。
当時、吐き気止めも今ほど効かないような状況で、副作用で非常に苦しんだことを覚えており、私には絶対に経験させてくなかったようです。
なので、不安は残る結果だけど、とにかく少し安心していました。
私も、抗がん剤治療をするとしたら大学を休学しないといけなかったので
それは嫌だし、将来絶対に子供が欲しかったので抗がん剤治療をして
妊娠に影響が出たら、、と思うと絶対に嫌でした。
再発のリスクより、当時の私にとってはこっちのほうが大事でした。
(当時は抗がん剤なんて知らないので、手術のほうが辛いと思っていました。
そして、副作用のことより、治療をして出る影響のことばかり考えていました😅)
それからは1か月ほど実家で休養し、1か月後には普通の日常生活に
戻ることができました。
大学生活も再び始まり、身体も元通り。バイトも休んでいたけど復帰しました。
お腹に傷跡が縦に20cmくらい残ってしまったので水着は着れないけど、
気にするのはそんなことくらいで自分が病気だったことは
すっかり忘れてしまっていました😐
つづく。
手術
2011年2月
右卵巣の腫瘍摘出手術をしました。
初めての手術でしたが前日まで
あまり不安はありませんでした🌟
(本当に無知だったのでそれが逆に良かった)
手術中麻酔が効かなかったら
どうしよう、、、。
とかそんな事ばかり考えてた🙃笑
でも当日はさすがにドキドキ緊張してました😣
ドラマとかのイメージで勝手に
ストレッチャーで運ばれて手術室に行くイメージだったんだけど
あれ自分で歩いて行くんですね!!😂
恐怖が増すから運んでほしい😑笑
両親とあの自動ドアでバイバイしたとき
一気にものすごい恐怖と緊張に襲われました😭
その後、あの手術台に乗ってからも
震えがとまらなかったのを覚えています😖
腰に打つ麻酔は少し痛いと聞いてましたが
緊張と恐怖の方が上で全く覚えていません。
とにかく震えが止まらなかったのだけ
鮮明に覚えています😅
目が覚めたら手術は終わっていました。
なんだか息苦しくて朦朧としていて
しばらくすると腰が激痛で大変でした。
私、痛いときは誰にも話かけられたり
したくないタイプみたいで(知らなかった)
手術後、両親が部屋に入ってきたら
帰ってと言ってすぐ帰らせたらしいですw
とにかく3日目くらいまで激痛で
地獄でした。もう絶対に絶対に手術はしたくない!!と誓ったのでした😨
その後は順調に回復していき
ご飯も食べれるようになって
暇を感じられるくらい元気になりました😊✨
お腹の傷が縦に20cmくらい
残ってしまったのが辛かった。
でも、入院中に病室で見ていたニュースで
大地震がおき、当時同世代だった留学生が
ビルの下敷きになってたくさん亡くなったのを覚えています。
自分も辛い状況だけど、全然大したことない!!と感じました。
つづく。
地元の総合病院にて
前回の続きです😀
地元の総合病院で診察・検査を何回か行いました。
手術前に、両親と私で先生の話を聞きに行きました。
当時、私はまだ19歳の未成年だったので
父だけ先に診察室に呼ばれ、そのあと母と私も後に呼ばれました。
確か手術の説明が主だったと思うのですが、
最近父から聞いた話だと
開腹手術をしてみないと正確には分からないけれど
かなりの確率で悪性の可能性が高いこと、
将来子どもを産めない可能性があること、
抗がん剤治療の可能性もあることなど最悪の状況まで説明を受けていたようです。
私はというと、両親のおかげもあり心配はあったけど、
特にあまり深く考えずに手術を受けられたと思います。
今、私には2歳の娘がいます。
このとき両親はどれほど辛かっただろうと今になって身をもって感じます😢
CTの結果により、私の右卵巣の腫瘍は直径約17cmのメロン大の大きさ
(妊娠6か月くらいの大きさ)と言われました。
痛みもほとんどなく、自覚症状がなかったためびっくりしました。
開腹手術は避けられず、お腹に大きく縦に傷跡が残るというのがショックでした😿
母は「丈夫に産んであげられなくてごめんね」と泣いていました。
実は、私の母も乳がんと闘う癌サバイバーなのです。
きっと、辛さが誰よりもよく分かるうえ、
自分の娘が同じ思いをするかもしれないということが
とてもとても苦しかったんだと思います。
つづく。
卵巣癌 分かったきっかけ
遡る事、10年前
私は19歳の大学生でした。
風邪がなかなか治らず熱もあったため、近所の市民病院を受診しました。
このときはただの風邪だと思い、軽い気持ちで受診しました🏥
(一人暮らしで頼る人もいなく、タクシーに乗るのもタクシー代をケチって、自転車で20分くらいフラフラ死にそうになりながら病院へ向かったのを覚えています😂)
このときの主な症状は熱と喉の痛み、悪寒、そして軽い腹痛でした。
自分では風邪以外は何も疑いませんでしたが、お腹が少し痛いと伝えると、その当時診察してくれた先生は
「ちょっと横になって」
と私に伝え、下っ腹を触診してくれました。
すると、すぐにおかしいと言い、緊急で検査。CTを撮った結果・・・
「すぐにご両親を呼んでいただけますか?」
と言われました。
と言っても、私の実家は静岡🗻
当時私は大阪にいたので、すぐには来れない距離です。
でも、両親がすごく心配してその週の土日だったかな?
駆けつけて来てくれた事を覚えています。
「明らかに卵巣に腫瘍があります。それも巨大です。
すぐに総合病院に行って下さい。」
先生から両親と私に話がありました。
ちょうど春休みが始まる前だった為、すぐに実家のある市の総合病院へ紹介状を書いてもらいました。
このときの私は、状況が飲み込めてなかったのか何も不安や恐怖の感情はありませんでした。
春休みに友達と予定していた旅行…行けなくなる?とか、
バイトどうしよう、休まなきゃいけないのかな。
とかそんな心配ばかりしていました。笑
今思うと本当に若かったなあと思います😅✨
でも、この市民病院の触診してくれた先生、、
今思い出しても、本当に感謝です✨
後に、院長先生だと分かります😳
お腹が痛いと言っても少し痛いくらい。
最近ちょっと太ったかな、ジーンズがきついなくらいにしか思っていませんでした。
触診してもらわなかったら、馬鹿な私はまだまだ
気が付かなかっただろうなと思います😑
つづく。